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昔なつかしの酒屋さん!!どんなことしてたの??御用聞きって?

「チワー!!三河屋です!!」でお馴染みの三河屋さん。
サザエさんに出てくるあの三河やさんです。

サザエさんではじめてその存在を知ったという方も沢山いるのではないでしょうか。
というか今の時代なかなかあんな感じの人、いませんからね!!
でも、昔はちゃんと存在したんですよ。
つまり彼はおとぎ話だとかファンタジーではないんです。
そんな三河屋さんについて少しだけ書いていこうとおもいます。


三河屋さんって何屋さん??

三河屋さんってそもそも何の商売をしている方なのでしょうか。

答えは、酒屋さんです。
酒屋さんといっても居酒屋さんのような飲食店では無く八百屋さん、お肉屋さん、お花屋さんに並ぶ商店街のお店のひとつと捉えていただいても大丈夫です。
なぜならサザエさんのベースとなっている時代は昭和30年代。
今でこそ個人商店は珍しいものとなっていまいましたが当時はその殆どが個人商店でした。
なのでお花屋さんのように個人が営む専門店として成り立っていたのです。






酒屋さんの役割って???

酒屋さんは基本個人経営の専門店。ということまではわかりましたが、実際はどんな仕事をしていたかお分かりですか??
「ボーーっと店の前にたって人が来たら酒を売る。」
とおもわれがちですが違います。
サザエさんを見てもわかる通り、街に繰り出すのです。
そして町の人と親しくなる。
これが基本です。
なぜかって??御用聞きがあるからです!!
御用聞きというのは各家庭に注文を聞きに行きその品をあとで配達する所謂デリバリーに近いものでした。
そして、この御用聞きや配達の時酒屋さんは基本勝手口を利用しました。
「勝手口から注文をきき、勝手口に届ける」というスタイルです。
サザエさんの三河やさんのサブちゃんも基本勝手口から磯野家を出入りしてますもんね!





届けるのはお酒だけではありません。
醤油に味噌、ソースも売っていました。
売り方は計り売りです」。
計り売りというのはいまのようなボトルに入ったものを買うのではなく、空き瓶に本当にその家庭に必要な分だけを買うというやり方でした。
この方が節約になりますよね!!調味料がまだまだ貴重な時代、そしてその名残がしっかりと残っている世代だからこそ出来たやり方なのではないのでしょうか。

と、ここまで見てわかるのが、このやり方を実践するには沢山の従業員が必要だと言うことです。
実際に従業員が沢山いたため酒屋さんは活気に溢れていました。
サザエさんの三河屋さんのサブちゃんがサザエさん一家と仲がよく、道でタラちゃんとも話せるくらい親しいのはこの活気溢れる職場環境と御用聞きによる町の人たちとの交流ではないかと考えております。 
店内にはポスターや醤油の会社のロゴなどもありました♪


酒屋さんの現在は??

いまって酒屋さん見かけないですよね。
もはやサザエさんでしか見ることのできない存在なのではないでしょうか。
かわりに沢山出現したお店があります。
コンビニことコンビニエンスストアです。
コンビニには小さいものなら調味料もありますしもちろんお酒も、そして御茶やジュースもおにぎりもパンも売っています。コンビニは地域の防犯や公共料金の支払いなど役割も様々です。
酒屋さん以上の存在となりました。
それもあってか酒屋さんを廃業、酒屋さんからコンビニへの転業をする人もあらわれました。
このような経緯もあって酒屋さんは消えてしまったのです。
 いまではサザエさんでしか見かけない酒屋さん。
日本の「古きよき」が沢山つまっています。
絶滅寸前といっても過言ではない御用聞き。
平成のいまと比べつつ、風流を感じつつサザエさんを見てみるのもいいかも知れませんね!!




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