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配給制度って実際どうだったの??なんのため??

配給といえば戦争中に人々に食べ物などの生活必需品を配る制度。
と考えるかたが沢山いらっしゃいます。
というかその考え方、間違ってません!!!
もっと言うと、
戦争を優先した上で、残りを国民に平等に!!という考え方がぴったり当てはまります。
平等に。が大切なポイントです。
兵隊さんは国のために働いてくださるのでそののこりを皆で分け合う。
分け合うときは平等にしようね!
と考えていただければ大丈夫です。

さてその配給制度、実際に実行されたときはどんな状況だったのでしょうか。
ここでは第二次世界対戦中の日本の配給制度に限定してお話いたします。





配給って何??どうして起こったの???


上記でも説明したとおり、第二次世界対戦中の日本において日本国民(その時点での非戦闘員と男性)にわけられる分の日用品を平等にわけあたえよう。という考えのもと実行された政策です。
なぜ配給を始めたのかというといってしまえば物不足です。
もともと物資や物の原材料の殆どを輸入にたよっていました。ですが、戦争がはじまってしまい輸入がうまくいかなくなり、ただでさえ少ない物資を国が統制し国力のすべてを戦争に注ぎ込んだのです。
なぜこんなに物資が少ないのに戦争に突き進んだのか。
それは日露戦争に勝ったからです。あのロシアに勝ったのです。これで列強の仲間入りを果たした日本ですが国力にはまだまだ大きな差がありました。

例えば、ある日学校で数学のテストがありました。
最高得点は100点満点です。普段授業をい真面目に受けていなかったのか知識の土台がないばかりに、100点満点またはそれに近い点数をとるため寝る間の惜しんで全力でやらなきゃいけない、やったにも関わらず60点しかとれなかったK君。授業をしっかり受けており知識の土台もしっかりしておりテレビを見て漫画を読んでほんの数分勉強しただけで100点とれちゃうH君。
列強はH君のようでした。知識の土台は資源におきかえてください。資源も実力もある列強は片手間で行うことができます。その証拠に第二次世界対戦中、アメリカはディズニーアニメーションとして数々のカラーアニメを作っていました。カラー作品白雪姫もその一つです。
一方日本はK君のようにもともとの知識の土台がないばかりに100パーセントの力を戦争に注がなければなりません。その証拠に金属供出といって鉄砲のたまなど戦争に使う金属を町中から集めたりもしたりしていました。
お家でお湯を沸かすヤカンなども供出の対象になりました。
     


ここまででわかってきたとおもいますが、つまりはあれです。
物資不足です!!!

いつからどうやって始まったの??

配給制度が始まったのは1938年2月です。
切符配給制となった綿衣料品です。このころ日本はとても寒い中国を相手に中国で戦争をしていました。
ということは、防寒が大切です。兵隊さんの防寒を優先した結果、良い繊維はすべて軍需品にまわされました。
国内には化学繊維のスフ(ステープルファイバー)を混入した粗末なものしかありませんでした。
その粗末なものも国から制限がかけられました。
ところで切符制度ってなんだとおもいますか?
商品ごとに点数が決められ、購入した点数分の切符が切り取られるという仕組みです。
切符が無くなるとそれ以上商品を買えなくなるという仕組みです。
この個数をコントロールして国民に行き渡らせようというのがねらいでした。


ところが始まったとたん混乱してしまいます。
配給制度を始める数週間前から配給の実施という情報は人々に漏れていたのです。
そのため、買い占めが起こってしまい流通に支障をきたしてしまいました。







その後配給はどうなった???

最初はそれこそ綿衣料品だったのですが、その後どうなったとおもいますか??
ご存じのかたも沢山いらっしゃるとおもいます。
野菜やおこめ、魚など本当に必要なもの、衣食住の衣食がほぼすべて配給になってしまいました。

1940年には名古屋でマッチの配給が始まりました。ひとり平均で1日10本とされていました。
6月になると、東京大阪横浜名古屋神戸でマッチ、砂糖の配給が実験的に実施されました。
(後に本格的に配給制となります。)
砂糖も配給となったのです。砂糖は国内需要の大半を台湾などの国から輸入に依存していたので戦争勃発と共に輸入困難となり配給となってしまったのです。



1941年には米も配給制になります。
1日あたり
1歳から5歳が120グラム6歳から10歳が200グラム11歳から60歳330グラム61歳以上は300グラム
と定められました。
どう考えても少ないです。お米1合は150グラムなのでいまの私たちのお米の消費量からすると少なくいま私たちがこのお米の量でせいかつできるかと言うと難しいですね。
お米をはじめ配給では何時間もならんでやっと手にいれることが出来たのです。

戦争が激しくなるにつれて配給で配られるお米は玄米や乾麺となりました。
そのうち配給の切符はあっても現物がその場に無いということもあり、配給制度の維持そのものが難しくなりそのうち人々は非合法な闇ルートでものを入手するようになりました。

最後に
戦後は朝鮮特需や高度経済成長などによる経済の発展により徐々に統制は解除され現在配給制度は存在しません。
いまはそれぐらい恵まれた時代なのです。ですが戦争などによりまた日本が物資不足におちいるかわかりません。
いまの現状に感謝しつつ、再び配給制度が復活しないように私たちが自ら考えて行動していくしかありません。
このような歴史があったこと、雑学として頭の片隅にいれていただけたら嬉しいです!!




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