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赤紙だけでは無かった召集令状。他の色は何色?

日本にすんでいると戦争=太平洋戦争戦争を指すことが殆どです。
ですが日本以外の国、外国では当たり前ですがそうとは限らないんですよ。
湾岸戦争やベトナム戦争、イラク戦争だってあります。
日本も太平洋戦争で敗戦するまで日清戦争や日露戦争をやっていたんです。
  その話もふまえてご紹介します。

赤紙ってなに?断るとどうなるの??

まだ赤い赤紙
赤紙ってきいたことありますか召集令状です。
戦争にいく兵士が足りなくなった時に臨時で(急遽)兵士を用意するための通知書です。
実は日本は第二次世界対戦の前にも日清戦争、日露戦争を戦ってきました。結果は勝利です。勝ったのですがそれなりの反省点も出てきました。
それは、兵士の確保です。前線に行く兵士が足りなくては戦争が成り立ちません。
戦況の悪化や戦場の拡大(増加)で日本軍にもともといた兵士では足りなくなってしまった時、臨時でひとを補給せねばなりませんでした。
そこで各家庭に届く紙が赤紙です。


紙が赤いので赤紙と呼ばれていました。
もちろん拒否権はあります!!!といいたいのですがそんなわけありません。
赤紙の拒否権なんてものは存在しません。
もし拒否して逃げたりした場合それこそ隅々まで追い回されます。そして 捕まります。

この赤紙が渡されるとき「おめでとうございます」のひとこととセットで地元の役場の方が運んでくれます。
もし「おめでとうございます」と言われたら、もし役場のひとにあったら。
戦争にいくしかないです。
みんなに「○○君!万歳!!」と  言われながら見送られなければなりません。

そんな、時代でした。


赤紙は赤だけじゃなかった?様々な召集令状!

戦争中の召集令状というと赤紙のイメージがありますが実は赤だけじゃないんですよ!!!


まずはピンク。ピンクの召集令状の名前は、赤紙です
実は赤紙がただピンクになっただけなんです!!赤紙がピンクになったのは太平洋戦争のころ。物資不足が原因でこうなってしまいました。内容と役割は色が濃い赤紙と同じです。

白い紙もありました。その名も白紙。
これは徴用令状です。
戦争には行かないが軍需工場での勤務など国のために働くために召集されることを意味していました。戦争にはいかないから安心。ではありません。
労働条件があまりにも過酷だったため赤紙並みに恐れられていたと言われています。

青い紙もありました。青紙と呼ばれたものです。
白紙と同じく軍需工場などでの勤務です。白紙との違いはすでに退職したひとなどが職業指導などのために戻ってくる再就職命令でもありました。

この工場勤務ですが、工場というのはある意味第二の戦場です。
戦場で使う弾(たま)や鉄砲や戦車、飛行機の部品を作ったりしていた場所です。
そこが無くなれば戦争で戦うことができなくなります。
そうです。空襲で狙われました。
空襲といえば東京大空襲などの無差別攻撃が有名ですがそれ以前にも軍需工場をターゲットとした中規模空襲が頻発していました。

東京大空襲まで無差別攻撃なんてあってないようなものだと思っていたひともいたようですが、軍需工場に働きにいった家族が空襲でやられないか心配だった方もたくさんいたようです。


赤紙はいつでも届く!朝か夜かは関係ない!

郵便物は基本的にお昼に届きますよね。
ですが当時は、赤紙はそうはいきませんでした。
赤紙は役場の方が各家庭に届けにいきますが、もし軍から夜中の3時に召集令状が役場に届けばすぐさま家庭に届けにいかなければなりません。
そのため早朝から赤紙が家庭に届き儀式が始まる。なんてことも珍しくありませんでした。
意外と知られていませんが赤紙が来て戦争に行き生き残った場合、帰宅することができました。これは、とある作戦のために赤紙を使って兵士を召集。もし任務完了後に生き残ったらそのための補充員は解放となったからです。
実際に日中戦争と日米戦争両方に一回づつ召集された方もいらっしゃいます。
とは言ってもほとんどの場合赤紙が来ることはそのままその人の死をあらわします。そのため赤紙を渡すときの空気はなんとも言えないものになったそうです。

赤紙は赤紙だけじゃなかった。これ、意外と知られていなかったことです。
今回は赤以外にも色があったことはもちろんこの紙に拒否権なんてものはなく強制だったこと、そんな恐ろしい時代があったこと。それを覚えていただけたら嬉しいです!!









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