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ランドセルっていつ頃からあるの??どこが始めたの??セーラー服はどこからきたの??学校のあたりまえの由来を大調査!!!!

日本で学生生活を送った皆さんこんにちは!!!
こんばんはおはようございます。

ランドセルにセーラー服。
見たこと、聞いたことありますか??
ランドセルなんて日本で小学生を経験すれば誰もが通る道です。(例外あり)
セーラー服は来たことない女の子もたくさんいるのかな???
まぁ私もガッツリブレザーの人間でしたが。
学校にあるたくさんのあたりまえの由来を暴きたいと思います!!!!!



ランドセルっていつからあるの??


ランドセルって誰でも背負ったことありますよね。例外あり。
ちなみにこの背負うって福岡では「からう」って言います。
まぁそんなことおいといて。


ランドセルっていつから有るのかご存じですか???
戦後から????っておもいますよね。
実は戦前からあったんです。
しっかりと存在されてました。

日本のランドセルのルーツは、ヨーロッパで使われていた鞄です。
明治時代に学習院初等科に子供を通わせていたある父親はそのヨーロッパの鞄を見て似たような鞄を子供に背負わせて通わせていました。当時は今のような子供の通学用鞄なんて文化は無かったのです。
それを見た学習院初等科の先生が「子供用にちょうどいい」と考えた結果、 1885年明治18年に小学生用の鞄として導入したのが最初です。明治からあるんです!!バリバリの戦前ですよ!!
ただ、ランドセルを背負えたのは学習院にかよう良家の子女だけで明治18年以降も庶民たちはまだまだ風呂敷に教科書を包んでい




ランドセルの名前の由来は??

ランドセルって不思議な名前ですよね!
実は学習院ではランドセルを作るときに陸軍の背嚢(ハイノウ)という鞄を参考にしたんです。
なのでオランダ語で背嚢を意味する「ランドセル」という呼び名ができました。

ランドセルの今は??

ランドセルのサイズといえばA4ですか???B5  ですか??
私はB5の人間だったんですけども、近年、教科書やプリントや書類などの巨大化によりランドセルのメジャーなサイズが B5からA4に変わっています。カルすぽというワードが出てきちゃうくらいですからね★
お子さまのランドセルを買いにいって「あれ?大人になったのにランドセル大きく感じる。というか小学校卒業の時よりも体感大きいけど何で??」と思ったそこのあなた。あなたの感覚は間違えてませんよ!!だって実際におおきくなったんですから









セーラー服はどの学校から始まったの???


お次はセーラー服です。
着たことあるかた!!はい、手を下ろしてね。
私は、着たかった。


そんなセーラー服ですが、日本でのはじまりってご存じですか??
女子学生の制服としてのセーラー服のはじまりは1920年大正9年です。
この年に京都の平安女学院が採用したのが始まりです。
とはいっても創立がこの年というわけではないんですよ。
創立はこの35年前にされており当初は袴主体の和装を制服としていました。
ですが大正ロマン時代に白い襟の目立つセーラー服に変更したところ、身体の線があまり出ず優しく身体を包み込むようなデザインが大人気となりました。するとこのセーラー服にあ憧れて入学を希望する生徒が集まり始めたのです。今でも高校受験のときに「制服がかわいいから」という理由で入学を希望する人もいますよね。
その始まりです。いつの時代も女心は変わらないものです。
話がそれましたが、この「セーラー服に憧れて」入学希望者が増えたのがきっかけで他の学校にも制服採用のうごきが広がりました。




制服とランドセル。
今はあたりまえに日常に溶け込んでますが学校にやって来たきっかけを探ると意外と面白いものですね!!
この二つにはこれからも日本の学校の歴史と共に歩んでいただきたいものです。


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