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敵性語ってなに??英語教育との関係性は??鉛筆からBが消えた謎を解明!


敵性語ってなに??英語教育との関係は?

敵性語という言葉をご存じでしょうか。
敵の言葉です。

日本が昔、アメリカと戦争をしていた頃は敵性語といって敵国であるアメリカイギリスの言葉、つまり英語を敵の国の言葉だからといって排除していました。
この排除は民衆が率先して勝手にやったものなので学校教育としての英語は残っていたのですが、民衆から一度は「英語教育不要論」のようなものが出てくるくらいなので相当な嫌われものだったのでしょう。

なのですが日本は明治維新以来海外の文化の一部として英語も取り入れています。
それもあってか意識していないうちに商品名、学校名、会社名として英語は取り入れられていたんです。
それを徹底的に排除しようとした動きがこの敵性語排除運動です。

排除した結果どうなった?

敵性語排除をした結果、ゴリっゴリの日本語になりました。あたりまえですねえ。
モガ(モダンガール)なんて言葉が流行って西洋文化と英語がもてはやされたあとですから英語が生活にちゃっかり馴染んでいます。そこからの英語排除です。なかには違和感がある言葉もありますよ。
と、言うわけで英語排除後にどうなったのか分野別に見ていきましょう!!


スポーツ

ストライク…よし1本ファウル…だめ、圏外
アウト…引けセーフ…良し
ラグビー闘球
ゴルフ…打球
スキー…雪滑
スケート…氷滑
スポーツの言い換えはザッとこんな感じです。
例えると、「冬休みスキーに行こう。」は「冬休み雪滑に行こう。」となります。



食べ物

サイダー…噴出水
フライ…洋天
コロッケ…油揚げ肉饅頭
ドーナツ…砂糖天麩羅
カレーライス…辛味入汁掛飯
料理をみたまんま、仕組みそのまんまを料理名にしています。
これでは洒落た感じがなくなって何となく美味しそうなあの香りもどこかに行ってしまいそうですね。


雑誌名

キング…富士
サンデー毎日…週刊毎日
エコノミスト…経済毎日
オール讀物…文藝讀物
「アサヒクラブ」や経済雑誌のダイヤモンドは横文字の雑誌であったがそのままの名称で発行され続けました。
エコノミストがそのまま経済に訳されたりサンデー毎日のように漢字はそのままのこすなど意味や雰囲気はのこすのがよくある手法でした。


 こちらは週刊毎日です。




そしてこちらが改名されなかったアサヒクラブです。






会社名


欧文社…旺文社
キングレコード…富士音響
日本ビクター…日本音響株式会社
ブリッヂストンタイヤ株式会社…日本タイヤ株式会社

すごい!!!!キングレコードの名前があるではありませんか!!
ついこの間某クソアニメの放映期間を勘違いしたあのキングレコードさん、戦争中は勘違いをしていなかったようです!!これにはポプ子とピピ美もビックリですよね!!!
エイサーヰハラマスコーヰ。

楽器名

サックス…金属性先曲がり音響出し機
トロンボーン…抜き差し曲がり金真鍮喇叭
コントラバス…妖怪的四弦
ヴァイオリン…提琴
ピアノ…洋琴
これも楽器と同じで仕組みをそのまま単語にしていますが、サックスとトロンボーンの名前はやたら長いです。
これ覚えられたのでしょうか。やはり海外のものをそのままの名前または和製英語で名付けていると、無理やり日本語にするのは厳しいもんなんですね。
あ、これはサックスです↓↓


















鉛筆

鉛筆の濃さの表記ももちろんいまとは違いました。
HB…中庸H…1硬(こう)B…1軟(なん)
鉛筆から戦争に参加するっていう発想がとてもあの時代らしいです。
 当時はこんな広告まで出ていたんですよ。

敵性語言い換えのいま
敵性語の言い換えでうまれた言葉はもうすでに使われていないものが殆どですが、旺文社だけは残っていますね!!
受験でお馴染みの旺文社。
それを考えたら参考書を手に取るたびに色々深いことを考えたり考えなかったり…。
いろいろな外来語が世に溢れてるこの時代、ほんとに平和で感謝ですね!!




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