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結婚だってお国のために!恋愛結婚はごく少数??戦争中の結婚事情


今日は2018年です。
結婚と言えば恋仲の二人が互いを生涯のパートナーとし一生寄り添っていくという
解釈がメジャーです。が、この恋愛結婚が結婚の一般的な形になったのってごく最近の話なんです。
それまではお見合い結婚がメインです。
戦争中もお見合い結婚は行われていましたが、もうひとつ結婚の形が有ったんですよ!
それはなんだと思いますか??



傷痍軍人を救済せよ!その目的は?

まず言葉の説明をしましょう。傷痍はショウイと読みます。
傷ついた兵士、戦地での戦闘によって怪我を負った兵士のことを指します。

兵士のなかには独身の状態で戦地へ行った人もいますから帰還すると当たり前ですが独身なんです。婚約者が生きていて病気や空襲で亡くなることが無かったので結婚しました!というパターンもありましたがごくごく少数。
ようは怪我した兵隊さんと結婚する女性募集中なわけです。

傷痍軍人に対する経済的処置を日本が始めたのはニチロ戦争からです.
当初は定職に就くことが難しい傷痍軍人にたいして経済的措置を取っていましたが、日中戦争の泥沼化に従いこの目的も変わってきます。
当初の支援から、再起奉公を求めるものへと変わっていきました。
簡単にいうと、慎ましく暮らしてねー!から、もう一回国のために働いてねー!にかわりました。なんと言うことでしょう。
人材のリサイクルです。


結婚も奉仕活動!御国の為に身を捧げよ!!

この救済措置ですがやるが側はボランティア活動です。
そしてこの救済措置のひとつに結婚も現れました。
傷痍軍人に対して
御国のために身を捧げて傷ついた勇敢な男性
という神聖で勇ましいイメージを付与し彼らの目となり手となり生活を支え生涯寄り添うことがどれだけ素晴らしいことなのかを説いました。
労働や貯蓄と同じで奉仕活動だったのです。

朝日新聞 昭和13年4月5日


彼らに寄り添い彼らに勇気を与えると、彼らは働く。
どんなに小さな働きでも、例えば軍服を縫う仕事を↓としても、それは国のため。
というわけです。

結果として傷痍軍人と結婚する未婚女性は急増しました。
そしてそんな彼女たちは花嫁天使と呼ばれるようになりました。
ここまでは偉いひとの理想通りです。
大変なのはここから先でした。


傷痍軍人と無事結婚!その後どうなった?

世の中すべてが理想通りにすすむはずがありません。
この結婚もそうでした。
待ち受けていたのは苦しい生活です。
花嫁天使ともてはやされたのはほんのつかの間ですが生活はずっと続きますよね。
待っていた生活というのが


  • 身体が不自由な夫の不便を補助する介護的役割
  • 定職に就くのが難しい夫に代わり家計を担う(外で働く)
身体の不自由を助ける介護師であり一家の大黒柱であったのです。

あま~いラブラブ生活なんてそこにはありません。

実際に辛い生活に不平不満を漏らす女性もいましたがいまのように『嫌なら離婚』という訳にもいきません。
彼女たちは「不平不満を感じるのは自分の努力が足りないから」と自分に言い聞かせ半ば強引に納得していました。

もちろんそれなりに楽しく自分達の生活を営んでいた傷痍軍人と花嫁天使の夫婦もいたそうです。

まとめ

  1. 傷痍はショウイと読み傷ついた兵士のことをいう
  2. 彼らの救済措置の1つとして結婚という形がとられ新婦は花嫁天使と呼ばれた。
  3. 花嫁天使は一部を省きとても苦労していた。


今は自由に好きな人と結婚することができます。結婚をしない道を選ぶこともできます。
このような自由感謝しなければなりません。





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