スキップしてメイン コンテンツに移動

名前は知っている隣組。そもそもなんの集まりなの???


♪とんとんとんからりんと隣組♪

きいたことありませんか??
隣組の歌ではなくともドリフの大爆笑など替え歌が沢山ありますね。
隣組って果たしてどんな組織なんでしょうか。



隣組ってそもそも何??

 隣組というのは戦争中にあった組織のひとつです。
今で言うところの自治体に近いものですが、当時と今の違いはその相互監視能力です。
 国家総動員法と共に制度化されました。


1組、5世帯から10世帯で構成されておりその中から組長が選ばれます。
定期的に常会と呼ばれる会合が開かれました。
場所は会長の家や銭湯などメンバーが集まれば基本どこでも行われていました。

この常会が細分化されていたのはご存じですか?
主婦のための婦人常会、青年のための青年常会などその人と役割に応じて集まり常会を行っていました。

戦争初期はまだ男手があったのですが戦争中盤あたりから男性は皆戦地に行ってしまい男手が少なくなりました。それもあってか隣組の組織を支えているのは専ら女性と子供です。
もっと具体的に言いましょう。
今の学校制度と照らし合わせると小学校高学年は疎開、中学生は勤労奉仕にいってしまいます。となるとこの女性というのは結婚をした女性、そしてその子供しかも小学校低学年までの年齢の子供たちです。
そんな人たちが隣組、そして国家の生活運営を支えていました。




隣組って女と子供でどんなことやるの??


隣組をささえているのは女と子供です。
ですが彼等はどんなことをしていると思いますか??
体力仕事や軍事的な仕事はできない筈。となると何をやっていたのでしょう。


  1. 役所の指示の確認
  2. 出征軍人の見送り
  3. 物資の配給切符の分配
  4. 資源の回収
  5. バケツリレーなど訓練
役所の指示の確認
役所から来る防空法の確認、そして資源回収や配給の日程など様々な情報を隣組を通して受け取っていました。方法は常会の他にも回覧板で伝えるという方法もありました。

出征軍人の見送り
戦争初期は派手に行われていた出征軍人の見送りあれを企画運営するのも隣組です。
場合によっては壮行会を開いたりもしていました。
戦争後期は見送りこそ地味になってしまいましたが見送りに隣組の人たちがいたことには変わりません。


物資の配給切符の分配  
配給の管理は切符で行って来ました。場合によっては配給は隣組が管理しています。
ということは配給の切符の配布も隣組が行うものなのです。
例えば砂糖の配給が切符だったとします。
Aさん宅からEさん宅までしっかりと平等に行き渡るように切符を使って管理していました。が、配給管理は隣組。つまり人間です。するとあの人には多く与えて、あの人には少な目に。という意地悪をしていた人もいたようです。



資源回収



資源というのは主に金属を指します。
そう鉄砲や戦車を作るために必要な金属が足りなかったんです。
例えば、もしあなたが金属のシャーペンが欲しいと思う。お店に行けば買えますよね。
あれはシャーペンを作っている企業が金属を買いそれをもとにシャーペンを作ったから。この金属を調達の段階ですでに工場自力ではできなくなります。
なぜなら無いから。そう、金属がどこにも無いから。
なので国民からかき集めたんです。鍋はもちろん指輪や人形のアクセサリーまで取られてしまいました。そうまでして頑張って集めないと金属が足りなかったんです。
敵であったアメリカがディズニー名作を作っていたあの頃です。
ちなみにこの時期、あのカラーアニメ白雪姫が生まれました。

バケツリレーなど訓練




よく皮肉をいう時に出てくるワードこと「バケツリレー」です。
 焼夷弾なんかバケツリレーで消せます!!内地は私たちが守るのです!!!
という感じでバケツリレー訓練を行いました。そんなことで太刀打ちできる筈もないのにやりました。ですがこれが当時の精一杯だったんです。
しかし大空襲でどんどん焼夷弾が落ちるともうどうすることもできません。ただ燃える家を見つめるしかありませんでした。



もちろんこの時代も葬儀などいわゆる冠婚葬祭も行っていました。しかし時は戦時中です。しきたりの簡素化が求められていました。そこで隣組で行い互いに豪華にしないように監視しあってました。香典返しも廃止されていたんです。


ここまでみてお分かりかとおもいますが、隣組は協力しあおう助け合おうという組織ではなく国民の相互監視システムだったのです。政治の末端と言っても良いでしょう。
もし隣組の組長に目をつけられると配給を減らされたり憲兵に密告されたりもしました。
そうなると一家はもう非国民です。そのようにならないため互いが互いを監視していました。



まとめ

あの有名な隣組ですがその中身はかなり厳しくシビアだったのです。
ピリピリしていました。
もちろん人間がやっているので不公平なこともありました。娯楽が無くストレスがたまる状況で人にたいして何かしらの嫌がらせをするのはいけないことですがやってしまうものです。そもそも戦争がいけないのですがこんなこともあったと頭の片隅に入れておいてください。




コメント

このブログの人気の投稿

赤紙だけでは無かった召集令状。他の色は何色?

日本にすんでいると戦争=太平洋戦争戦争を指すことが殆どです。 ですが日本以外の国、外国では当たり前ですがそうとは限らないんですよ。 湾岸戦争やベトナム戦争、イラク戦争だってあります。 日本も太平洋戦争で敗戦するまで日清戦争や日露戦争をやっていたんです。   その話もふまえてご紹介します。 赤紙ってなに?断るとどうなるの?? まだ赤い赤紙 赤紙ってきいたことありますか召集令状です。 戦争にいく兵士が足りなくなった時に臨時で(急遽)兵士を用意するための通知書です。 実は日本は第二次世界対戦の前にも日清戦争、日露戦争を戦ってきました。結果は勝利です。勝ったのですがそれなりの反省点も出てきました。 それは、兵士の確保です。前線に行く兵士が足りなくては戦争が成り立ちません。 戦況の悪化や戦場の拡大(増加)で日本軍にもともといた兵士では足りなくなってしまった時、臨時でひとを補給せねばなりませんでした。 そこで各家庭に届く紙が赤紙です。 紙が赤いので赤紙と呼ばれていました。 もちろん拒否権はあります!!!といいたいのですがそんなわけありません。 赤紙の拒否権なんてものは存在しません。 もし拒否して逃げたりした場合それこそ隅々まで追い回されます。そして 捕まります。 この赤紙が渡されるとき「おめでとうございます」のひとこととセットで地元の役場の方が運んでくれます。 もし「おめでとうございます」と言われたら、もし役場のひとにあったら。 戦争にいくしかないです。 みんなに「○○君!万歳!!」と  言われながら見送られなければなりません。 そんな、時代でした。 赤紙は赤だけじゃなかった?様々な召集令状! 戦争中の召集令状というと赤紙のイメージがありますが実は赤だけじゃないんですよ!!! まずはピンク。ピンクの召集令状の名前は、赤紙です 。 実は赤紙がただピンクになっただけなんです!!赤紙がピンクになったのは太平洋戦争のころ。物資不足が原因でこうなってしまいました。内容と役割は色が濃い赤紙と同じです。 白い紙もありました。その名も白紙。 これは徴用令状です。 戦争には行かないが軍需工場での勤務など国のために働くために召集されることを意味してい

配給制度って実際どうだったの??なんのため??

配給といえば戦争中に人々に食べ物などの生活必需品を配る制度。 と考えるかたが沢山いらっしゃいます。 というかその考え方、間違ってません!!! もっと言うと、 戦争を優先した上で、残りを国民に平等に!!という考え方がぴったり当てはまります。 平等に。が大切なポイントです。 兵隊さんは国のために働いてくださるのでそののこりを皆で分け合う。 分け合うときは平等にしようね! と考えていただければ大丈夫です。 さてその 配給制 度、実際に実行されたときはどんな状況だったのでしょうか。 ここでは第二次世界対戦中の日本の 配給制 度に限定してお話いたします。 配給って何??どうして起こったの??? 上記でも説明したとおり、第二次世界対戦中の日本において日本国民(その時点での非戦闘員と男性)にわけられる分の日用品を平等にわけあたえよう。という考えのもと実行された政策です。 なぜ配給を始めたのかというといってしまえば物不足です。 もともと物資や物の原材料の殆どを輸入にたよっていました。ですが、戦争がはじまってしまい輸入がうまくいかなくなり、ただでさえ少ない物資を国が統制し国力のすべてを戦争に注ぎ込んだのです。 なぜこんなに物資が少ないのに戦争に突き進んだのか。 それは 日露戦争 に勝ったからです。あのロシアに勝ったのです。これで列強の仲間入りを果たした日本ですが国力にはまだまだ大きな差がありました。 例えば、ある日学校で数学のテストがありました。 最高得点は100点満点です。普段授業をい真面目に受けていなかったのか知識の土台がないばかりに、100点満点またはそれに近い点数をとるため寝る間の惜しんで全力でやらなきゃいけない、やったにも関わらず60点しかとれなかったK君。授業をしっかり受けており知識の土台もしっかりしておりテレビを見て漫画を読んでほんの数分勉強しただけで100点とれちゃうH君。 列強はH君のようでした。知識の土台は資源におきかえてください。資源も実力もある列強は片手間で行うことができます。その証拠に第二次世界対戦中、アメリカはディズニーアニメーションとして数々のカラーアニメを作っていました。カラー作品白雪姫もその一つです。 一方日本はK君のようにもともとの

昔なつかしの酒屋さん!!どんなことしてたの??御用聞きって?

「チワー!!三河屋です!!」でお馴染みの三河屋さん。 サザエさんに出てくるあの三河やさんです。 サザエさんではじめてその存在を知ったという方も沢山いるのではないでしょうか。 というか今の時代なかなかあんな感じの人、いませんからね!! でも、昔はちゃんと存在したんですよ。 つまり彼はおとぎ話だとかファンタジーではないんです。 そんな三河屋さんについて少しだけ書いていこうとおもいます。 三河屋さんって何屋さん?? 三河屋さんってそもそも何の商売をしている方なのでしょうか。 答えは、酒屋さんです。 酒屋さんといっても居酒屋さんのような飲食店では無く八百屋さん、お肉屋さん、お花屋さんに並ぶ商店街のお店のひとつと捉えていただいても大丈夫です。 なぜならサザエさんのベースとなっている時代は昭和30年代。 今でこそ個人商店は珍しいものとなっていまいましたが当時はその殆どが個人商店でした。 なのでお花屋さんのように個人が営む専門店として成り立っていたのです。 酒屋さんの役割って??? 酒屋さんは基本個人経営の専門店。ということまではわかりましたが、実際はどんな仕事をしていたかお分かりですか?? 「ボーーっと店の前にたって人が来たら酒を売る。」 とおもわれがちですが違います。 サザエさんを見てもわかる通り、街に繰り出すのです。 そして町の人と親しくなる。 これが基本です。 なぜかって?? 御用聞き があるからです!! 御用聞きというのは各家庭に注文を聞きに行きその品をあとで配達する所謂デリバリーに近いものでした。 そして、この御用聞きや配達の時酒屋さんは基本勝手口を利用しました。 「勝手口から注文をきき、勝手口に届ける」というスタイルです。 サザエさんの三河やさんのサブちゃんも基本勝手口から磯野家を出入りしてますもんね! 届けるのはお酒だけではありません。 醤油に味噌、ソースも売っていました。 売り方は 計り売り です」。 計り売りというのはいまのようなボトルに入ったものを買うのではなく、空き瓶に本当にその家庭に必要な分だけを買うというやり方でした。 この方が節約になりますよね!!調味料がまだまだ